名古屋人ランナーのご当地な日々
走った自分へのごほうびとしてご当地スイーツ&グルメを食べまくる、ダメダメな40代ランナーの日常。
陸上ものかと思ったら、母と子の愛憎のドラマだった
- 2015/01/19 (Mon) |
- 本・映像作品(マラソン関係) |
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あ…ありのまま、今起こったことを話すぜ!
『おれは陸上ものの小説を読んでいたら、家族の葛藤と再生を描いて終わっていた』
な…何を言っているか分からねーと思うが(ry
というわけで、あさのあつこの「ランナー」(幻冬舎)という小説を読みました(前フリが適当にもほどがある)。
以前読んだ箱根駅伝ものの「風が強く吹いている」が非常に面白かったので、「もっとこんな感じの本ってないかな~♪」とググってみて、出て来た本の中の1冊です。
でも、この本は「風が強く吹いている」とはかなり雰囲気が違います。「風が~」はヒューマンドラマとしての側面ももちろんありますが、基本的にはトレーニングや大会などで走るシーンを中心に構成されている、まさに陸上小説です。
一方、この「ランナー」は、陸上競技そのものより親子や家庭の問題に多くのページが割かれていて、陸上小説というよりは家庭小説と呼ぶのがふさわしい気がします。
それでも、やはりランナーのはしくれとしてハッとするような描写があちこちにありました。
フルマラソンの経験は2回だけですが、ハーフマラソンは何回も走っていますし、10キロ台のランニングにもしょっちゅう行っています。もちろん、10キロ未満のトレーニングなら毎週行っています。
それでも、走り出す前、走り出した後、いつも体は思うように動かなくて、大したスピードも出ていないのにすぐに呼吸が苦しくなり始めます。
何回も走って、毎週のようにトレーニングをして、それなのに何でこんなに息が苦しいんだろう、体が思うように動かないんだろう、スピードがのらないんだろうと考え出すと、こんな調子で本当にフルマラソンを最後まで走れるんだろうか、自分には走るための適性がないんじゃないか、という不安な気持ちが頭をよぎります。
そんな苦しさも不安感も、しばらく走り続けて体が楽になるとともに消えていくわけですが…
単なるウォーミングアップ不足だろうって? それは言わない約束です。んなことは本人が一番よく分かっています(逆切れ)。
この小説は、才能のある長距離選手がそんな苦しみを回想するシーンから始まります。
走ることは、時に怖いし苦しい。
主人公の碧李(あおい)は高校生ですが、才能を認められながら家庭の事情で部活を続けられなくなり、陸上部を退部して、授業が終わったらまっすぐ帰る毎日を送っています。
出場した大会で悲惨な結果になった直後の退部だったため、彼をやっかんでいた他の部員からは「一度の負けで心が折れた」とバカにされますが、彼はそういう陰口に対しても、顧問の先生やマネージャーの説得で復帰した後の嫌がらせに対しても、まったく言いわけや不満を口にしません。なぜなら、家庭の事情を口実にして、走ることから逃げているという自覚があるからです。
碧李は走る時、しばしば「余計なものがはがれ落ちていく」という感覚を味わいます。走るうちにいろんなしがらみを忘れ、これまでに積み重ねてきた努力や記録、順位といったものすらどうでもよくなり、ただ体を動かしているだけの、ありのままの自分に立ち返るような感じです。
私も悩みがあったりストレスを感じていても、走っているとだんだんそういうことがどうでもよくなって、走り終わる頃にはかなりさっぱりした気分になっています。「走ることでストレスを振り落している」みたいな感じですが、それに近いものがあるかもしれません。
ですが、失敗に終わった大会で、碧李は初めて走ってもいろんなものを振り落せない、それどころか逆に重くまとわりついてくるという経験をします。どんなに必死で走っても、自分より明らかに実力が下の選手にすら追いつくことができず、当然タイムや順位も予想にまったく届きません。
碧李が陸上部をやめた本当の理由は、家庭の事情ではなく、この「走っても振り落せない」という恐怖にまた直面する勇気がないためだったのです。
碧李の同じ部の友人・久遠も、腰を痛めてハードル競技をあきらめなければならなくなった時、ショックを受ける一方で「これで走らない理由ができた」と安心します。
どんなスポーツでもそうなのかもしれませんが、走るというのは非常にシンプルなことなので、才能の差や好調不調はもちろん、サボリや「逃げ」、精神的な甘さや弱さといった要素がかなりダイレクトに結果に表れるものだと思います。
それだけに、上級者ほど自分は満足のいく走りができないかもしれない、いいタイムが出せないかもしれないという不安やプレッシャーが常につきまとうし、不本意な結果に真正面から向き合うのにかなり精神力が必要になるのではないでしょうか。
走ることは自分と向き合うことであり、それはとても怖いことです。それでもその苦しさを越えたところに「余計なものがはがれ落ちる」幸せな境地が待っているのも事実だと思います。
母と子、特に娘の葛藤の物語
普通の陸上ものなら、復帰した碧李が陸上の大会に出場して優勝するとか記録を打ち立てる、というところにクライマックスを持っていくはずですが、この小説ではそうはなりません。
この小説のクライマックスは、母の虐待で声と感情を失った義妹と、母と、そして家族を捨てて出て行った父とが一堂に会するシーン。そして、碧李が義妹の見守る前で走るラストシーンにつながっていきます。
作者が女性のせいでしょうか、この作品に描かれる家庭の問題の中で父や息子の存在感は希薄で、母と娘に重点を置いている気がします。
碧李の母は、夫がよそに女性を作って出て行き、息子と養女との三人暮らしになった後、自分を捨てた夫にどこか顔立ちが似ている養女を拒絶し、しだいに暴力をふるい始めます。
また、マネージャーの杏子の母親も献身的な良妻賢母のようでいて、娘の視点からは子供の普通の成長や自立を受け入れられない、からみつくような重さを持った存在として描かれています。
男性陣についてはあまり掘り下げた描写はありません。碧李の父親の内心は語られませんし、友人の久遠は家庭に関する描写が特にありません。また、「母親に殺されかけた」と語る顧問の先生の家庭は、その言葉とはうらはらにかなり健全で葛藤とは無縁な印象です。
この「殺されかけた」というのは、上の兄弟たちが走り回る部屋の床に無造作に寝かされていたので、もし踏まれていたら死んでいたかもしれないという何ともアバウトな話で、大きくなってからそのことをお母さんに抗議したら、「あら、私本当に蹴とばしたことあるわよ~」とあっけらかんとしていたというのですから、お母さん大物です。
いやまあ、それで何かあったら笑いごとじゃありませんが(-д-;)
碧李も母と義妹の間で防波堤になろうとはしますし、虐待を止められないことに悩んではいますが、普通ならありがちな葛藤、例えば家族を捨てて行った父への怒りや不信感、幼い義妹に暴力を振るう母への恐怖や嫌悪といった感情はあまり感じられません。
むしろ、その点では虐待者である母の内面の方がよほど深く掘り下げられています。この人は母親からいつも一番であることを強要され、失敗も弱音も許してもらえなかったのですが、そのために努力だけではどうにもならない「離婚」という人生の大きなつまづきを乗り越えられず、追いつめられた結果として養女への虐待に走ってしまうのです。
もちろん虐待は許されることではありません。でも、「ありのままの自分」を母親から否定され、努力して作り上げた自分も夫に拒絶され、しかも自分の姉妹は平凡だったために親から過度の期待をかけられずに済み、結局は自分より幸せになっている。こんなやり場のない苦しみと怒りを抱えていては、破壊的な衝動にとらわれてしまうのもしかたない…という気がしてきます。
あさのあつこ作品の特色?
私はあさのあつこの作品を読むのはこれが初めてで、あさのあつこ原作で林遣都が主演の映画「バッテリー」は何年か前に見ましたが、そのうち原作も読んでみようと思いつつそのままになっていました。
そういえば「バッテリー」の映画でも野球そのものより人間関係(家族やチームメイトとの葛藤)が中心になっていて、野球そのもののシーンってそんなに印象に残っていないかも…
この作者はそういう持ち味の人なのかな? 野球や長距離走といったスポーツは、そのものが主題になるのではなく、人間のむき出しの感情や関係の中に生まれるドラマへのアプローチの手段として活かされているように思います。
もっとも、読んでいる間はけっこう物語に引き込まれていたのでそういうことは気にならなくて、読み終えた後で「あれ? 結局、主人公あんまり走ってなくね?」と気がついたのですが(鈍感)。陸上小説としては正直物足りない部分があるにしても、家族小説としては非常に読み応えのある作品だと思います。
ちょっとググってみたら、どうもこの「ランナー」には続編があるみたいですね。この家族がその後どうなったか気になるので、これも一度読んでみたいと思います。
プロフィール
年齢…40代。
目標…サブ4.5!
名古屋ウィメンズマラソン2015のPRランナーとして始めたブログです。
2016年大会では年齢制限が厳しくなったため(悲)PRランナーになれませんが、引き続きマラソン・スイーツ・ご当地キャラなどの名古屋情報をアップしていきます。
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